『感謝の気持ちを表すときは、言葉ではなく、感謝の生活を送ることが最も大切な
ことであることを忘れてはいけません』(ジョン・F・ケネディ)
こんにちは。アクシスエボリューション田中伸一です。
先日いちご狩りに行ってきました。今回は、自宅から一番近い久山町の「やすこう
ち農園」へ。ハウスの中もきれいで、いちごも大きくて甘くて美味しい。1時間食
べ放題で、家族みんな大喜び。初めて連れ入った孫娘もいちご大好きで楽しみまし
た。来年も楽しみです。(ブログにも投稿しています↓↓↓)
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■1 私という存在を生み出した原因
■2 息子のすべてを受容すること(3月10日のブログより)
■3 あとがき
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■1 私という存在を生み出した原因
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9歳で失明、18歳で聴力も失った福島智東京大学教授の著書『ぼくの命は言葉と
ともにある』からのご紹介です。
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私は十八歳のとき、約三カ月で盲ろう者になったわけですが、その過程の最初の頃
は、「なんで俺だけ目が見えなくなって、しかも耳まで聞こえなくならなあかんの
や」と思っていました。
けれど一カ月ほど経過して、もう一歩進んで考えてみて、見えないとか聞こえない
というのは生きているから生じることじゃないかと気づくのです。それ以来、「じ
ゃあ、そもそも生きている、この命があるということはなんなんだ」と考えるよう
になりました。
すると、それは非常に不思議なことだと思い至ります。なんで私が生きてきた(生
きている)のかわからないのです。
両親から生まれたのは確かでしょうが、そもそも私という人間がいて、私という意
識があるというのがすごく不思議です。そして、それは奇跡的なことなのではない
かと思うようになりました。
そう考えたときに一つだけ言えることは、私は自分の力で存在しているのではない、
ということです。私自身は「私」という存在自体の原因になってはいない。つまり、
私の存在という結果を生み出した原因は私ではないのです。
では、何が原因なのかと言われるとわからないのですが、少なくとも私ではない何
ものかが私という存在の背後に存在しているのだろうと感じました。それは多くの
場合、神、あるいは宇宙などと呼ばれるものでしょう。とにかく私という存在を生
み出した原因は私ではなく、なんらかの大いなる存在です。
このように考えてくると、私が見えないとか聞こえないとか、あるいはいつまで生
きるのか、いつ死が訪れるのかというようなことは自分ではコントロールできず、
自分ではわからない。それがぼんやりと感じられてきました。
そこで、そのとき経験していた苦悩は大いなる存在が私に与えたものなのだから、
それにはなんらかの意味があるのだろうと、当時の私は自分に言い聞かせていたの
でした。
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命の根本を考えていくと、最後は私たちの力では計り知れない何かがあるとしか説
明できなくなります。その中で、自分ではどうすることもできないことを受け入れ、
意味を見い出していくことにも人生の価値はありそうです。
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■2 息子のすべてを受容すること(3月10日のブログより)
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私は息子のお陰で仕事も変わり、考え方や生き方が大きく変わっていきました。
息子には感謝の気持ちでいっぱいです。
その息子に対して私が親としてしてあげられたことは何かなぁ?
と振り返った時に一番よかったなと思うことは、
息子のすべてを受容すること。
息子を信じていること。
息子の人生を信頼していること。
息子にこうなって欲しい、ああなって欲しい、と期待しないこと。
そのままの息子を受け容れること。
これかなって、思います。
細かいところを見ていくと本当は100%すべてはできていませんが。(>_<)
人は育っていく過程で、自分の存在をそのまま受容されていると自分の存在に自信
が持てます。言葉を変えると、自分の感じていること(感情)に自信が持てます。
自分は自分なんだ、と。
人と比較することもなく、人目を気にすることもなく、自分の気持ちに正直に生き
ることができます。自分らしく生きることができます。
反対に、育っていく過程で自分の存在が受け容れられないことが多いと、
例えば、
悲しくて泣いていても「泣くんじゃない」「泣かなくていいよ」と言われたり、
うれしくて喜んでいても一緒に喜んでもらえなかったり、
やりたいことがあっても否定されたり、やらせてもらえなかったり、
子ども自身の気持ちよりも親の言うことを優先せざるを得なかったり、
また、両親がいつもケンカしていて子どもが気を遣ってばかりいたりすると、
子どもは自分の感情を抑圧せざるを得なくなります。
自分の気持ちよりも人目を気にするようになり、自分らしい人生を生きることが難
しくなります。
続きはこちらです。
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■3 あとがき
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先日、宗像大社へ交通安全祈願に行ったときのことです。
ここでの楽しみの1つが「鯉のエサやり」。
いつも息子が楽しそうにエサやりしてます。
ところが今回は、エサが置いてありませんでした。
1日のエサの量が決まっているようで、これまでも時々ないときがありました。
そこで近くにいた巫女さんに尋ねると、鯉は12月から桜の散る頃まで冬眠してい
るそうで、エサを置いていないとのこと。
鯉が冬眠するとは初めて知りました。(*^_^*)
最後までお読みいただきありがとうございます。
皆様に、すべての良きことが向かっています!