『虚心のままに静かであること、無欲で心安らかであること、虚無のうちに無為を
守ることこそ、天地の平安の道にかない、道徳の本質を得たものである』(荘子)
こんにちは。“魂のコーチング”アクシスエボリューション田中伸一です。
今年もう1カ月が経とうとしています。本当に日が経つのが早いです。
なかなか自分のやりたいことや、やるべきことに手をつけられていないことが多く、
そういう時こそ、自分を見つめ、自分を感じる時間をとることが大事だと改めて感
じます。そうすると不思議と自分自身がクリアーになってきます。
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■1 世のすべての人に褒められたとしても
■2 何でイライラしているんだろう?
■3 あとがき
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■1 世のすべての人に褒められたとしても
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『荘子1』(中公クラッシックス・森三樹三郎氏訳)からのご紹介です。
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子貢の弟子がいった。
「私は先生からこういうことを聞いたことがある。
ものごとには適当なやり方を求め、そのことを成功させることが必要だ。だから労
力を用いることが少なくて、成果をあげることが多いことこそ、聖人の道である、
と。
だが、今はそうは思わなくなった。
道を守るものは、その身にそなわる働きも完全になり、身の働きの完全なものは身
体も完全になり、身体の完全なものは精神も完全なものになる。この精神が完全で
あることこそ、聖人の道にかなうものにほかならない。
このような聖人は、世のままに生をまかせ、民とその行いを同じくして、いずこに
行くというあてども知らない。まことに測りしれない深遠さをもち、純粋で完全な
人間であるといえよう。功利的なものや機械的な技術などは、そのかけらもこの人
物の心にはない。
このような人物は、その気が向くところでなければ行かず、その心にかなうことで
なければ行わない。たとえ世をあげてこれをほめたたえ、その評判をよくしたとし
ても、そしらぬ顔で目もくれようとはしない。世をあげてこれをそしり、その評判
を落としたとしても、平然として気にとめることもない。
世の毀誉のとりざたは、この人物の価値を増減するものではないからだ。このよう
であってこそ、完全な徳をそなえた人物といえよう。私などは、風や波のように立
ちさわぐ、無定見の民というべきだろう」
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人の成長には、ステップがあると思います。
まずは、この紹介文の最初に書かれてあるように、自分の与えられた環境の中で、
創意工夫して成果を上げること。そこをクリアした上(または同時)で、老荘思想
の「道」で言う精神を高めること。
私も子貢の弟子のように褒められれば嬉しく思う人間ですが、少しずつでもここに
書かれている聖人に近づけるよう生きていこうと思います。
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■2 何でイライラしているんだろう?
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こちらが何をしているわけではないのに、なぜかイライラしていて、言いがかりを
つける人っていますよね。
無意識でいると、そのマイナスオーラに引き込まれて、こちらもネガティブな状態
になってしまいます。
私がそうなりそうな時は、時間があれば、瞑想して心を落ち着かせます。
まずは、自分の今の不安定な気持ちをそのまま感じます。
「嫌な気持ちになってるな~」「相手のこと嫌だな~」って。
「イライラしている自分はダメだ!」っていう風に感じていると次に進まないので。
それを十分感じると、今度は逆に、相手の気持ちを考えてみます。
何でイライラしているんだろう? って。
人の感情の源は、「愛」か「怖れ」です。
怒りやイライラは、「怖れ」が原因です。何かに思い通りにならないこと(怖れ)
があり、それが怒りやイライラして変化していきます。
そう考えると、その相手は何かに「怖れ」を感じているんですね。
不安なんですね。だんだんかわいそうに思えてきます。
また、そういう人は自分で自分のことを愛せていない。
周りの人からの愛も不足していることが多いです。
ここまで感じたら、そのイライラしている人を許せるようになります。
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■3 あとがき
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『ありがとう』の反対語は『当たり前』。
私たちはついつい、この「ありがとう」とう感謝の気持ちを忘れてしまうことが
あります。
家族がいること、働くことができること、食べ物があること、住む家や着る服があ
ること、呼吸ができること、心臓が動くこと・・・大自然や宇宙に生かされている
こと。数えあげればきりがありません。
この気持ちを忘れることがないように、数年前から朝起きてからと夜寝る前、食事
の度に感謝のお祈りを行っています。
それでも、私自身の未熟さからか、「当たり前」と思うことも多々あります。
「日本人なのに“ありがとう”の反対語を知らなかった」
2分半の素敵な動画です。
最後までお読みいただきありがとうございます。
皆様に、すべての良きことが向かっています!